日別アーカイブ: 2018年1月28日

太宰治 今年は没後70年

太宰 好き?嫌い?

三鷹と言えばやっぱり太宰なんですかね?

太宰は決して尊敬すべき人物ではなかったという人もいれば、

そのはかなげな影のある人生に、人間の弱さを共感してしまう人…

ただただ文学的に作品を愛する人…

人それぞれに感じ方は違うのだと思いますが、私は決して嫌いではないです。

というか、むしろ不器用な生き方がちょっと好きだったり、

なんか惹かれたりもしています。

 

だけど私が一番興味深いのは玉川上水への入水自殺。というより、単純に玉川上水が好きなんですが…

先日ある学者さん?のお話を伺っていたら、太宰の遺体が見つかったのは「万助橋」付近と講義されていました。

いやいや違うでしょう…とはさすがに言いませんでしたが、案外知られているような知られていないような…

なのでなんとなくイラっとするので自分で書くことにしましたw

「太宰治」史跡

没後70年という事は、太宰が亡くなったのは終戦後まだ数年しか経っていないような時期だったのですね。

三鷹市の案内板にはこのように書かれています。

太宰最後の日は、1948(昭和23)年6月13日

この場所から山崎富栄と二人で玉川上水へ向かいます。

 

現在はこんな建物が建っている所です。

建物から左に目を移すと、正面にはもう玉川上水が見えます。

 

玉川上水の道は今は「風の散歩道」として整備され、

緑の木々が気持ちの良い、まっすぐな散歩道として市民の憩いの場となっています。

これから心中しようとする太宰と富栄は、この道で何を話していたのでしょうね。

それとも 黙って歩いているだけで、お互いの気持ちは通じていたのでしょうか?

 

しばらく歩いた道の脇に「玉鹿石」という石が置かれています。

この石は、太宰の故郷 青森 の石だそうです。

そしてその向こうに見えるのが玉川上水。二人が入水したのはちょうどこの辺りと言われています。

まっすぐ続く上水…

当時の玉川上水は「人喰い川」と呼ばれ、深くえぐれた淵にドウドウと水が流れて、一度落ちたら二度と遺体は上がってこないと言われていました。

二人の捜索は、玉川上水の水量を調節して行われたそうです。

むらさき橋

万助橋

ほたる橋

幸橋を越え

遺体が上がったのは新橋付近

二人の遺体はこの新橋のあたりで、しっかりと紐で結ばれた形で見つかったそうです。

どれだけの力と想いを込めて、しっかりとこの紐を結んだのでしょうね。なんかちょっと怖いくらいです。

さてこの新橋、橋を境に下流に進むとググっと大きなカーブになります。しかも蛇行している…。

ひもで結ばれた二人は、トルネードの水流の中でぐるぐるに揉まれてもなお 離れる事なくしっかりと結びついていたおかげで、この複雑なカーブに引っかかる形で見つかったのでしょう。

二人の絆がそんなに深かったという事なんですかね…。

新橋のカーブ

比較的川幅が広く、まっすぐな流れの万助橋ではなく、

このカーブがあったからこそ二人は引き上げることができたのだと思います。

新橋の景色を動画でとってみたのでご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=UK4mk5E9Xl4

また、新橋の先にあるまつかげ橋付近では、堀が深くえぐれていた痕跡もわかるので、こちらも貼っておきますね。

 

https://www.youtube.com/watch?v=xsupy2BoeLE

 

ちなみに玉川上水は、羽村取水堰から四谷の大木戸まで 全長約43キロメートル、

その間の標高差はわずか約92メートルという驚きの緩勾配で、地形を巧みに利用し尾根筋をたどる形で掘られたのでこのような事が実現できたと言われています。

新橋付近のこの急カーブも、その尾根筋をたどってこういう形になったのですね。

いろいろ調べてみると興味深いですね!

きんぎょのわくわく三鷹散策 より転載

https://wakuwakumitaka.tokyo/archives/401